2021-04-06から1日間の記事一覧

ーそもそも「満州」とはー

そもそも満州国があった中国の東北部は、古くから、支配民族の交代が頻繁に行われ、一支配が長期に渡ることがなかったという。 やがて満州人による清王朝がここに軍政を敷いて、東部を満州人、西部をモンゴル人、南部を漢人の居住区と定めて移住を禁止した。…

ー満州の国づくり、「五族協和」「王道楽土」ー

昭和10年(1035年)当時の満州国には、3500万人弱の人々が住んでいたらしい。 その人口内訳は、漢人が7割強、満州人が16%強、朝鮮人が2%強、日本人は0.4%程度のようである。モンゴル人は不明のようである。その満州で国づくりの理想とされ…

ー一般の人達を見捨てた「関東軍」ー

アジア・太平洋戦争末期、関東軍は、満州国にいた日系成人男性15万人を根こそぎ戦場にかりたてた。 そうして、女性や子ども、老人だけになったところにソ連軍が突如侵攻、長く抑圧されていた漢人の怒りも爆発して、日本人は略奪や暴行の餌食となって、あま…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今次大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー見抜けなかった「ドイツの凋落」

日独に共通して見て取れるのは、敵国に対する状況認識の欠落のようである。 昭和15年(1940年)の夏、ドイツはイギリス本土へ連日爆撃を加えて、屈服させようとしていた。 残念ながら、ドイツの意のままにはならなかったのである。当時のイギリスは、世界に先…

ーヘンダーソン飛行場の攻撃に失敗ー

久しぶりに太平洋戦争の画集を眺めている。 日本から6,000キロの距離にある南太平洋・ソロモン諸島の激戦の地「ガダルカナル島」である。 昭和17年(1942年)9月15日のことである。ヘンダーソン飛行場の攻撃に失敗した、川口支隊の兵士達の遺体が無残な姿をみ…

ー名将が見当たらないー

とある出版社の、ある日の風景である。編集長の指示はこうである。 盧溝橋から長崎まで8年に亘ったアジア・太平洋戦争である。戦史に名を刻まれるとしたら、その陸軍大将は誰だろうか? 少ないといっても一人ぐらいはいるだろう。これが編集長氏の御説である…