コロナ禍の渦中に偉人を想うー

 

 茨城県那珂郡東木倉村(現/那珂市)に生まれた「根本 正(しょう)」がその人である。苦学の末に、アメリカへ渡り、バーモント州立大学に学んだ。在学中に、キリスト教の合理主義、独立不撓の精神を身につけ、明治23年(1890)政治家を志して帰国。三度目の挑戦で当選し、青少年の健全育成に向けて「未成年者喫煙禁止法」「未成年者飲酒禁止法」を建議、議員在職26年の、実に16年を擁して成立させた。建議のたびに、また”ネモショー”かよと議会の失笑をかったという。当時の青少年の置かれた社会環境が、はたして彼らの肉体を蝕んでいたのだろうか。

国民教育授業料全廃の建議、成立のほか、茨城県水戸市福島県郡山市を結ぶJR水郡線の敷設にも尽力した。

 大正13年(1924)の選挙で、金権候補に僅差で敗れ、潔く政界を去った。

自ら手がけた水郡線は、全線開通を見ることなく生涯を閉じたのである。

 コロナ禍の中で、今に生きる大法をものした偉大な政治家の足跡がよぎる。

基盤立法を大切にしたいと、しみじみと念うのである。