戦没者310万人、広大な戦場、陸軍主導の暴走が惨劇を生んだー

1941年(昭和16年)12月8日に端を発し、1945年(昭和20年)8月15日に終結、9月2日降伏文書調印。

 東はハワイ諸島、西はインド、北はアリューシャン列島そして、中国東北地方(旧・満州)、南はオーストラリア北岸まで、気の遠くなるほどの広大な地域である。

 アメリカ・イギリス・中国 などの連合国 対 日本のアジア・太平洋戦争である。

そもそも、戦史を書き連ねるところに私の本意があるのではない。

 自存自衛を旗頭に展開した中国大陸への侵攻、強欲に思いのままの戦果(?)を手にした日本は、それゆえに世界で唯一の「核被爆国」になった。

 日露戦争の9万人という戦死者に比して、310万人という膨大な戦没者である。

 私はこれまでに四度、靖国神社を参拝、帰途は必ず、千鳥ヶ淵戦没者墓園へも立ち寄っている。胸中はいつも複雑である。”英霊”といい”名誉の戦死”といい、”皇国日本”という。命を指しだして、自らは平和を享受できなかった人々が祀られているのである。

参拝の瞬間には、合祀されているBC級戦犯、A級戦犯の霊はとりあえず私の頭の中では「座」から外している。どう対処するかが私の中で結論を得ていないからである。

 それでもGHQによって絞首刑 に処せられた東条英機広田弘毅A級戦犯7名の眠る、愛知県幡豆町三ヶ根山山頂「三ヶ根山殉国七士廟」には一度詣でて見たいと思っている。

 歴史に登場した人物を善悪を分けず、全体を広く見渡して見たいと思うからである。

 それにしても多くの名も無き兵士達の運命の実態ーそれは、餓死であり、極度の恐怖による精神異常であり、マラリアであり、自決であり、あるいは投げ捨てられ、あるいは放置され、あるいは仲間による殺戮の前で落命するのである。

 そうしてまた、「生きて虜囚の辱めを受けず・・・」という「戦陣訓」をそのままに、

高い崖の上から海に身を投げる”女性達”の凄絶な最後である。

 「満州国建国」、「大陸南進作戦」、「国際連盟脱退」、「日独伊三国同盟締結」により戦端は開かれたのである。

 果たして、アジア・太平洋戦争大本営によって、310万人という日本民族同胞の「大量虐殺」をしでかしたのである。

(了)