戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

 

日本統治時代 明治時代以降、1945年(昭和20年)までの日本は、大日本帝国を構成した。これがいわゆる日本の統治時代である。

 北海道・本州・四国・九州を構成する47都道府県のいわゆる「内地」。これに対して満州事変~支那事変(日中戦争)・太平洋戦争(大東亜戦争)などの15年におよぶ戦争や戦闘で日本軍が進出・占領したアジア・太平洋地域(一部オセアニア)のいわゆる「外地」は、1945年(昭和20年)、連合国によるポツダム宣言を日本政府が受諾したことによって、第二次大戦後の日本軍の無条件降伏して日本がを敗戦を迎え、日本は外地を手放すわけである。

帝国主義=一つの国家・民族が自国の隆盛のため、領土、勢力を拡大、政治的に、経済的に、軍事的に自国の利益を計って、他国や他民族を侵略し、支配し、抑圧して強大な国家を作ろうとする

 明治維新によって大きく近代化に踏み出した日本が、戦争や外交によって獲得した領域には、夥しい兵士の涙と青春と命が費やされたのである。

 日本の統治時代の前史には、幕末から明治初頭にかけて、不平等条約に絡めとられて、樺太は段階的に主権を喪失していった。

  果たして日本の統治時代とは何だったのか。自存自衛を旗印に、あるいは資源獲得に向け、あるいはひたすらなる無謀な清算なき暴走は、多くの兵士の落命を、英霊と呼び、彼らをして「靖国神社」で会おうと言わしめた。

 戦史を通見すると、いくつかのキーワードやターニングポイントが見えてくる。

国家の「製図」は、沈思黙考、深謀遠慮の果てに、澎湃として湧き上がるものでなければならない。

 この頃の社会背景は悲惨だ。昭和4年(1929年)10月のアメリカ・ウォ―ル街の株価大暴落に端を発し、生糸の最大輸出国であったアメリカの不況ー生糸の価格の大暴落ーつづいて米の暴落ーいざとなったら農村にゆけば何とかなる、こんな思いの都会の失業者は、いっぺんに行き場を失うー失業者、いわゆる「ルンペン」が都会にあふれかえるー東北の農村では娘の身売りが横行する。浜口雄幸内閣は全くの無策だった。

昭和の「特筆」ーその過酷な時代 

1931年(昭和6年)-満州事変

1932年(昭和7年9-満州国建国宣言

1933年(昭和8年)-国際連盟脱退

1937年(昭和12年)-盧溝橋事件

1938年(昭和13年)-国家総動員法公布

1939年(昭和14年)-ノモンハン事件

1941年(昭和16年)-真珠湾攻撃

1942年(昭和17年)-ミッドウェー海戦

1943年(昭和18年)-出陣学徒壮行会

1944年(昭和19年)-神風特別攻撃隊出撃

1945年(昭和20年)-東京大空襲、米軍、沖縄本島上陸

             広島・長崎に原爆投下、玉音放送

1946年(昭和21年)-天皇人間宣言日本国憲法公布

1948年(昭和23年)-東条英機ら7人に死刑判決

1950年(昭和25年)-朝鮮戦争始まる

1951年(昭和26年)-サンフランシスコ講和条約日米安全保障条約

 

戦争の悲劇はなぜ起こり、

どんな思いで日本人は生き抜いたのかー