戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

満州・撫順炭鉱

 面積6、000平方メートルの世界最大級の炭鉱、露天掘り炭鉱と坑内掘りがあり、東西17キロ、南北44キロにおよぶ。それが撫順炭鉱である。満州国にとって、大変に貴重な資源であった。

 奉天の(瀋陽)の東約30キロに位置しする。1901年(明治34年)に中国人によって開発されたが、日露戦争勃発後にロシア軍に占領された。その後、日露講和条約に基づいて日本に引き継がれることになり、南満州鉄道株式会社が経営に当たった。清国側はロシアから日本に引き継がれることに反対し1909年(明治42年)9月4日の「満州五案件に関する協約」調印まで紛争が続いた。同協約第3条に、清国が日本による所有を認めること、日本が清国の主権を認めて採炭に対して納税することなどが協定された。

  1932年(昭和7年)9月16日には、現在の中国遼寧省北部において、撫順炭鉱を警備する日本軍の撫順守備隊(井上小隊)ゲリラ掃討作戦をおこなった際に、抗日ゲリラと通じていたとされる楊柏堡村付近の平頂山集落の住民の多くを殺傷した平頂山事件が起きている。犠牲者は400-800人(田辺敏雄氏による)や3,000人(中国説)など諸説がある。

(了)