戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

日本帝国陸軍の総軍の一つ、関東軍は、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行した。これらは明確な軍規違反であり、大元帥昭和天皇の許可をとらない軍事行動は、本来、死刑に処せられる程の重罪である。首謀者らは処罰されるどころか、なぜかみな出世したのである。このことは、当時の中国大陸の情勢が、彼らの暴挙を許さざるを得ないほどの状況であったことを物語っている。

  そうして、その後の日中戦争支那事変)や太平洋戦争(大東亜戦争)に、その政治外交日程を大きく揺るがす契機となったのである。

 1928年(昭和3年)に、北伐による余波が満州におよぶことを恐れて、関東軍高級参謀・河本大作陸軍歩兵大佐らが、張作霖爆殺事件を起こしたのである。そして石原莞爾作戦課長らが起こした柳条湖事件によって、翌1932年(昭和7年)満州国を建国する。

 当初、満州国建国を渋っていた犬養毅首相は、海軍青年士官らによって殺害されてしまう。いわゆる五・一五事件である。関東軍満州国軍と共に満州国防衛に当たりながら、満州国の主張する国境線の守備に当たってゆく。

 他方、1917年(大正6年)のロシア革命とその後の混乱によって弱体化したソビエト連邦は、1938年(昭和13年)の張鼓峰事件でソ連軍と初めて交戦、ソ連側の実力を思い知ることになる。さらに、1939年(昭和14年)のノモンハン事件では、関東軍自身が交戦、大きな損害を被り、「北進論」は弱まっていく。

 

 

 

 

 

 

 

暴挙ながら主に陸軍において戦域を統括する最大規模・最上級の編成単位