戦史ブログ「飢餓の戦場」

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戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1037年)

1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件起こった。これによる日中戦争支那事変)を契機にして、国民全員を戦争に駆り立てようと、「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍持久」という三つのスローガンを掲げて、「国民精神総動員運動」が始められる。(※八紘一宇=「天下を一つの家のようにすること」「全世界を一つの家にすること」を意味する)

国民精神総動員中央連盟が設立され、興亜奉公日を設けるなど、戦時体制構築と社会不満の一掃が進められた。

この運動は「国家のために自己を犠牲にして尽くす国民の精神(滅私奉公)を推進した」第一次近衛内閣の政策である。

 同年11月、上海戦で中国軍を撃破した日本軍は、首都南京に向けて進撃を開始する。

 12月、日本軍が南京を占領した際、およそ2ヵ月にわたって、多くの中国人捕虜や敗残兵、便衣兵、それに一般市民を不法に殺害、暴行、虐殺、強姦、略奪、放火したといわれる、いわゆる「南京事件」である。戦後の南京軍事法廷極東国際軍事裁判で裁かれたが、事件の真相はいまだ不明とされる。

 ところで、これら戦争を指揮した機関が、いわゆる「大本営」である。日清戦争から太平洋戦争までの戦時中に設置された日本軍(陸海軍)の最高統帥機関である。天皇の命令を大本営命令(大本営陸軍部命令=大陸令、大本営海軍部命令=大海令)として発令する最高司令部である。日清戦争日露戦争で設置され、それぞれ終戦後に解散した。日中戦争支那事変)では戦時外でも設置できるように改められて、太平洋戦争終戦まで存続した。

 太平洋戦争末期、敗色濃厚ななか、戦況が有利であるかのような虚偽の情報が大本営発表として流された。

 Bohemian

今日は、「納豆」のおいしい食べ方を探ってみた。

かつて、さる小料理屋で”納豆の天ぷらを食し、えらくおいしかった記憶がある。

マネのしようがないと、実に長~い年月あきらめていたのだが、ふっと思いついて、

今日、ついにチャレンジしたのである。

団子みたいな形の納豆揚げは、このごろよく見かけるが、

かつての記憶はまったく形が違うのである。

粉と粉にサンドされた、まっ平らな煎餅のようなものだった。

カリッと揚がっていて、香ばしかったのを覚えている。

これは難しいだろう。

そこで、すくい網の上に粉を敷き、大葉をのせ、よく混ぜた納豆を平らに敷き、大葉をかぶせ、粉をまぶした。そのまま、油の中へ。写真に撮ってお見せすようなレベルにはならなかったが、とてもおいしかったのであります。ビールのともに最適?

よろしかったら、お試しあれ。