戦史と世相ーシリーズ⑤ 「若き兵士たちの悲劇」昭和18年(1943年)~昭和19年(1944年)
この時期の戦跡を見てみようと思う。
1943年(昭和18年)1.02日本軍、ブナ守備隊、ギルワ守備隊全滅(東部ニューギニア)
1.29レンネル島沖海戦
2.02ガダルカナル島から撤退開始
3.02ビスマルク海海戦
3.27アッツ島沖海戦
4.07フロリダ沖海戦
5.29アッツ島守備隊玉砕
7.05クラ湾海戦
7.29キスカ撤退作戦
8.06ベラ湾夜戦
8.17第一次ベララベラ海戦
9.06日本軍、サラモア、ラエから撤退
10.06第二次ベララベラ海戦
11.02ブーゲンビル島沖海戦
11.24マキン守備隊玉砕
11.25タラワ島守備隊玉砕
2.06クェぜリン日本軍守備隊玉砕
2.23ブラウンの日本軍守備隊玉砕
3.08インパール作戦開始
4.06第31師団、インパール北方のコヒマを占領
6.01第31師団、補給途絶のためコヒマを放棄、撤退
6.19マリアナ沖海戦
6.28ビアク島の日本軍守備隊玉砕
7.07サイパン島の日本軍守備隊玉砕
8.02テニアン島の日本軍守備隊玉砕
8.11グアム島の日本軍守備隊玉砕
9.10中国雲南省拉孟の日本軍守備隊玉砕
10.12台湾沖航空戦
10.19アンガウル島日本軍守備隊玉砕
10.23レイテ沖海戦
10.25海軍に神風特別攻撃隊、初出撃
11.23ペリリュー島の日本軍守備隊玉砕
これが、昭和18年、19年の戦跡である。
痛ましい玉砕が続いたのである。
※玉砕=軍隊の全滅を指す。大本営の発表に際して用いられ、大義や名誉に殉じたとされる。
昭和17年(1942年)1月には、大本営は、「ニューギニアおよびソロモン群島の要地の攻略を企画」と決定。同年3月8日、東部ニューギニアのラエ、サラモアを占領した。ここからニューギニアの戦いが始まり、ダグラス・マッカーサー大将の率いる連合軍と、昭和20年(1945年)8月15日の終戦まで続けられたのである。
他方、太平洋戦争直前の昭和16年(1941年)12月、鹿児島県南九州市知覧町に陸軍の飛行場が完成、直ちに大刀洗陸軍飛行学校の分教所となった。そしてここに、最初の入校者78名が到着する。
昭和19年(1944年)夏以降、陸軍航空隊の戦術が艦船への体当たりを柱とする特攻に軸足を転換。昭和20年(1945年)2月、知覧分校は、第6航空軍に隷属する「第7飛行団」となり、ここに知覧特攻基地が誕生、振武隊(しんぶたい)と名付けられた特攻隊が出撃することになるのである。