戦史ブログ「飢餓の戦場」

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日本戦史の極点「満州国」②

満州国には、都市部で近代的な生活を営んだ、行政機関の関係者や日本人相手に商売などをしていた人たちの一方で、北部の奥地に開拓民と呼ばれた人たちがいた。およそ27万人といわれている。

開拓民には三つの類型がある。

一つは、武装移民(試験移民)と呼ばれるもので、日本への反抗勢力に対する治安維持のため、在郷軍人から募集された。治安の悪さや貧しい食事、屯懇病(ホームシック)などで4分の1が退団・戦病死したといわれている。

在郷軍人=現役として軍務に服していない軍人。第二次世界大戦が終わるまで、予備役、後備役、退役軍人といった。

二つ目は、一般開拓民で、昭和11年(1936年)に日本政府が決定した大量農業移民計画に基づいて、多くが、貧しかった村や里から分かれて移住した。

三つめは、満蒙開拓青少年義勇軍である。16歳から19歳の男子が、茨城県内の訓練所を経て満州に渡って、現地の訓練所で義勇隊を編成した。3年の訓練の後、「鍬(くわ)の戦士」として国防を兼ねてソ連国境近くに入植した。

そして、アジア・太平洋戦争開始に伴って、関東軍の精鋭部隊が南方戦線に投入されて弱体化。この状況に対応するため、満州国にいる日系成人男性15万人を招集、根こそぎ動員するのである。残された女性や子ども、老人に突然ソ連軍が侵攻、命がけの逃避行が始まるのである。ソ連軍だけでなく、それまで抑圧されていた漢人らが怒りを爆発させ、日本人は略奪・暴行の的とされたのである。絶望のなかの集団自決、栄養失調、発疹チフス、酷寒などで次々と命を落としていったのである。

五族協和」「王道楽土」をスローガンに中国東北部に展開した満州国は、明治39年(1906年)に設立された国策会社・満鉄(南満州鉄道株式会社)による撫順炭鉱、鞍山製鉄所、大連港などの経営でその成立が支えられたのである。

日本の生命線と位置付けられた満州国は、国際連盟では承認されず、日本は、国際連盟を脱退することになるのである。

産業開発、貨幣制度の統一、行政機構の整備、日本人開拓民の入植などさまざま試みを行った満州国政府であったが、昭和20年(1945年)8月9日のソ連軍侵攻、15日の日本敗戦を受けて、18日に皇帝溥儀が退位、崩壊したのである。13年5ヶ月の「国家」であった。

ソ連軍侵攻の際には、日本人をはじめとして一般の人々を保護することなく、関東軍は撤退したのである。

国家総動員法」は、退避の際には機能しなかったのである。

軍隊とは何であるか・・・。

Bohemian

2015年に広島大の特任教授に赴任した、エジプト生まれのマーヒル・エルシリビーニーさん(61)が、中沢啓治さんの漫画「はだしのゲン」全10巻をアラビア語に翻訳し、10巻目を2月に出版したという。2014年、友人の勧めで「はだしのゲン」をじっくり読んだ、防火水槽の中で子どもを抱えて死んでいる母親などの、被爆直後の描写にショックを受けたという。

「中東の人たちは、原爆の被害をほとんど知らない。それを伝えるのが私の使命です」と。

カイロ大学で日本語を学び、広島大大学院に留学、帰国後に母校の教員となった人である。

「この作品にウソはない」と翻訳を決めたのだという。

日本人として、その高貴な使命感に心うたれるばかりである。

ところで、日本にも、「はだしのゲン」に思い入れの強いお方がいる。

女性講談師の「神田香織」さんである。

2代目神田山陽門下で、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィッチの「チェルノブイリの祈り」を講談化するなどした社会派の講談師である。

機会を捉えて是非、口舌に触れてみていただきたい講談師なのである。