アジア太平洋の戦跡ー「日中戦争」編

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柳条湖事件満州国、日中全面戦争と、近代の日本は、「日中15年戦争」と呼ばれるように、常に中国大陸とともにあった。まさにその中国との関係を原因として、昭和16年(1941年)太平洋戦争に突入するのである。


 かくして、陸軍は中国大陸、海軍は太平洋戦争という構図になるのである。双方は国家予算を取り合い、それぞれの軍人の誇り(?)を競い合ったのであろう。いずれにしろ、軍人はひたすらに戦うための存在だったのである。

 日中戦争昭和12年(1937年)7月7日以来の8年間だという論客もいる。

この説は、昭和12年(1937年)7月7日の盧溝橋事件に端を発する中華民国北京(当時は北平=ほくへい)の盧溝橋で勃発した対中国国民革命軍との衝突事件である。

 この歴史の前段はこうである明治27年(1894年)~1895年に朝鮮の支配権を争った日清戦争後の、明治33年(1900年)中国の秘密結社義和団が、生活に苦しむ農民とともに蜂起した排外運動制圧のため、日本を含む8ヶ国が出兵した、いわゆる”北清事変”後の講和条約・北京議定書に基づいて、日本軍も支那駐屯軍を置いていたのである。

 この盧溝橋事件は、武力衝突から3日後、軍の責任者間で「松井一秦徳純協定(まついしんとくじゅんきょうてい)」といわれる停戦協定が成立した。しかし、この協定はごく短い期間で終わりを告げ、この事件が日中戦争の発端とされてゆくのである。

 以下に日中戦争の主要な戦争や事件をなぞってみる。

昭和12年(1937年)-昭和14年(1939年)

 盧溝橋ー北平ー廊坊ー広安門ー平津ー通州ーチャハルー上海(渡洋爆撃ー四行倉庫)太原ー南京ー南寧ー冬季攻勢ー翁英

昭和15年(1940年)-昭和17年(1942年)

 五原ー宣昭ー百団大戦ー江南ー漢水ー予南ー錦江ー中原ー江北ー二次長沙

● 江北殲滅ー江南殲滅ー常徳ー大陸打通ー拉孟騰越ー老河口ー湘桂反転

 以下に、日中戦争時の代表的な戦跡について触れる。

 中国黒竜江省鶏西市虎林市虎頭鎮(満州国)にあった大日本帝国陸軍の要塞・虎頭要塞(ことうようさい)である。そもそもは、国境を接するソビエト連邦から満州を防衛する目的で作られた関東軍の主要な拠点であった。東西約10㎞・南北約4㎞を有するこの要塞には、ソ連領イマンを見渡す高地があり、満ソ国境でシベリア鉄道を見ることのできる唯一の戦略拠点であった。昭和9年(1934年)に建設開始、昭和14年(1939年)に完成。第4国境警備隊が配置されて、ソ連労農赤軍の侵略への備え、くわえて、シベリア鉄道スターリン街道の遮断を任務としていたのである。

ここで、昭和20年(1945年)8月8日にソ連が対日宣戦布告、翌9日未明侵攻してきたソ連軍と虎頭要塞の第15国境守備隊の戦闘が勃発するのある。

 もう一つ、上海に残る戦跡を見る。日中戦争本格化のきっかけ、第二次上海事変の最後の激戦とされる「四行倉庫の戦い」に絡む戦跡である。

 四行倉庫は、上海市中心部の蘇州河沿いにあり、建物の内部は「四行倉庫抗戦記念館」になっていて、当時を忍ぶ資料が展示され、建物の一部の外壁は当時のまま保存されているという。

(了)