後世に伝えたいー痛ましい「戦争の悲劇」①
四方を海に囲まれた国・日本の戦場は、押しなべて海の彼方であったが、太平洋戦争の末期、昭和19年(1944年)11月からは、日本本土に移ったのである。10月25日に神風特攻隊が初出撃、11月23日ペリリュー島の日本軍守備隊が玉砕、11月24日にはマリアナ諸島からB29によって東京が初空襲にさらされたころである。
それは、アメリカが日本向けに作った大型の戦略重爆撃機B29の登場によってもたらされたのである。太平洋上の島を基地にして、”超空の要塞”と呼ばれたB29は、まずは東京を目標に定めて、年が明けると連日の空襲となるのである。それが、引き続いて名古屋、大阪、神戸などの大都市を爆撃、4月にはついに沖縄への上陸と続いていくのである。
ここからはいろいろなポイントから、あらためて戦争がもたらした悲しい出来事を辿ってみよう。
【1】昭和20年(1945年)の「空襲」の跡をなぞってみる。
① 東 京大空襲ー3月10日
② 大 阪大空襲ー3月13日
③ 名古屋大空襲ー3月19日
④ 沖 縄大空襲ー3月23日~
⑤ 横 浜大空襲ー5月29日
⑥ 神 戸大空襲ー6月5日
⑦ 釜 石大空襲ー7月14日
⑧ 室 蘭大空襲ー7月15日
⑨ 日 立大空襲ー7月18日
⑩ 新 宮大空襲ー7月27日
⑪ 浜 松大空襲ー7月29日
⑫ 清 水大空襲ー7月31日
⑬ 広 島原爆投下ー8月6日
⑭ 長 崎原爆投下ー8月9日
⑮ 釜 石大空襲ー8月9日
【2】B29と防空壕
B29が落とした焼夷弾は、大半が爆薬ではなくゼリー状の油脂ガソリンで、激しく燃焼したため、火災の熱で大勢の人が蒸し焼きにされて落命したのだという。簡易な防空壕は役にたたなかったようである。
【3】昭和18年(1943年)には、戦争激化に伴って猛獣が街へ逃げ出すのを防ぐため、上野動物園ではライオンやクマなどが処分されたようである。そうした猛獣類のなかには象もいたのだが、毒入りの餌を食べさせても、毒薬入りの注射をうっても殺せず、餌や水をあげずに餓死させられたというのである。さらに昭和20年(1945年)には、全国各地の動物園でも動物が殺処分されたという。人間の強欲がもたらした戦争によって多くの動物たちまでが非業の死を遂げていったのである。
【4】立て看板
昭和14年(1939年)ごろにはこんな立て看板が街角に。
ー「日本人ならぜいたくはできない筈だ」-
昭和15年(1940年)にはー「贅沢は敵だ」- と語調が強くなっていったという。
(了)
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