「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてーN0.1北海道編②

 

 引き続き北海道の戦跡を訪ねる。

4、【旭川第7師団】(だいしちしだん)-北海道旭川

  第7師団は、北辺の守りを担当する重要な師団である。

明治32年(1899ねん)敷地を買収して、6月から兵舎その他の工事が始められた。明治37年(1904年)日露戦争に出征して旅順攻略戦・奉天会戦に参加。大正6年(1917年)から2年間満州に駐屯、シベリア出兵に参加。昭和9年(1934年)、昭和11年(1936年)にも満州に派遣。その後も張鼓峰事件やノモンハン事件などにも出兵したが、昭和15年(1940年)北海道に帰還した。昭和17年(1942年)にはミッドウェー島、ガダルカナル島アリューシャン列島のアッツ島へも派遣したのである。

 師団が設営したトーチカが根室、釧路、十勝の海岸線に残っているという。

5、【琴似屯田兵村兵屋跡】(ことにとんでんへいそんへいおくあと)-北海道札幌市

 正式名称は「屯田兵第1大隊第1中隊」、208戸の兵屋が建設されたが、現在の兵屋はそのうちの一つを復元したものであるという。

 そもそも明治初期に屯田兵が本州から北海道へ入植する際に居住用として建設されたものである。昭和57年(1982年)に国指定の史跡に、平成16年(2004年)に北海道遺産に選定されている。

 

6、【函館山の砲台跡】(旧函館要塞)

明治28年(1895年)、日清戦争後、日露戦争を想定して津軽海峡の防衛強化のため、加えて北海道の玄関口函館港湾の守備のために、明治31年(1898年)にに函館山のいろいろな場所に建設された、函館山山頂付近に残る砲台跡(函館要塞)である。

 函館山山頂下のつつじ山駐車場から散策路を進むと、御殿山第2砲台跡が見えてくる。終戦後は、多くの要塞が進駐軍に爆破されたが、珍しく当時の面影をいまに残しているという。平成13年(2001年)北海道遺産に選定された。明治37年(1904年)2月に始まった日露戦争では、津軽海峡を航行する日本の船舶がロシア艦隊に攻撃されたが、要塞からは射程圏外であったため、一発の砲弾も発射されなかったという。明治後期から秘密のベールに包まれていた函館山は、昭和21年(1946年)市民に開放されたのである。

函館山=展望台のある御殿山(334m)、薬師山(252m)、つつじ山(306@m)、汐見山(206m)、八幡山(295m)、水元山(280m)、鞍掛山(113m)、地蔵山(286m)、入江山(291m)、エゾダテ山(129m)、観音山(265m)、牛の背山(288m)、千畳敷(250m)といった13の山々の総称である。

7、【勇払鵡川海岸トーチカ群】(ゆうふつ・むかわ)-北海道勇払郡

昭和19年(1944年)7月、アメリカ軍北海道上陸とソ連の参戦に備えて、苫小牧、厚真(あつま)、鵡川の1市2町の太平洋岸に北海道最大の防御陣地が構築されたのである。敗戦までにコンクリート製のトーチカや戦車壕などが造られ、現在、19基のトーチカなどが残されているという。

 

北海道編完

 

 

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