「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてーNo.2青森編

 

 さて、続いては「青森県」である。

1、【竜飛監視哨】(哨=みはり)ー青森県東津軽郡外ヶ浜町

 何といってもここの要衝は、津軽海峡である。日本海と太平洋を結ぶ国際海峡であり軍事上の重要なポイントである。ここはロシアの艦船などが通航することもあって、警戒監視は欠かせないのである。旧陸軍時代には津軽要塞のあった場所であり、竜飛崎砲台や海軍の監視所のあったところである。現在は、海上自衛隊の組織のひとつ竜飛警備所で、対岸の松前警備所と対をなして、津軽海峡を通航する艦船の警戒・監視に当たっている。陸上固定施設で海峡を望む高台にレーダーなどの監視機器を設置している。

 

2、【海軍水交社】(旧大湊要港部会議所)-青森県大湊村(現:むつ市

 大正5年(1915年)、旧海軍大湊要港部における海軍士官の集会所・社交場として建設されたものである。太平洋戦争後は、進駐軍の施設とされ、さらに大湊地方総監部や通信隊の庁舎として使用されたあと、昭和56年(1981年)から海上自衛隊展示資料館「北洋館」として保存されている。

3、【歩兵第5連隊】ー青森県弘前市

 明治4年1871年)、仙台に置かれた東北鎮台の分所として、2個小隊が弘前に配置された。当初20番大隊と呼ばれたが、これが「第5連隊」の母体となったのである。

明治10年(1877年)、西南戦争へ歩兵第5連隊も出征。

明治27年(1894年)、8月1日日清戦争勃発、歩兵第5連隊これに従軍。

明治28年(1895年)、1月末から2月初頭にかけては、歩兵第5連隊も「威海衛の戦い」に参加した。

※威海衛の戦い=日清戦争における戦闘である。制海権の掌握と威海衛湾にこもった北洋艦隊(清朝李鴻章の艦隊)艦艇撃滅と海軍基地の制圧が、日本陸海軍の共同の目的であった。


4、【弘前第8師団】(八甲田山雪中行軍)ー青森県弘前市

日清戦争が終わると、新たな軍備拡張の必要性から6個の師団が増設されたが、第8師団はそのうちの一つである。

 勝利に終わった日清戦争であったが、ロシア・フランス・ドイツによる、いわゆる”三国干渉”によって、とりわけロシアとの間の緊張が高まったのである。このためロシアとの一戦に備えて陸軍は準備を進めたのである。そうした中で、寒冷地での訓練の要請から、明治35年(1902年)1月、八甲田山の雪中行軍が第8師団に下命され、死者199名に上る大惨事になったのである。「八甲田山雪中行軍遭難事件」である。

明治37年(1904年)6月、日露戦争開戦。明治38年(1905年)3月、奉天会戦に参加すのである。

日露戦争後は、明治43年(1910年)に朝鮮半島に駐留、大正10年(1921年)にはシベリア出兵に参加するのである。

(了)

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 ohemian

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