ー見抜けなかった「ドイツの凋落」
日独に共通して見て取れるのは、敵国に対する状況認識の欠落のようである。
昭和15年(1940年)の夏、ドイツはイギリス本土へ連日爆撃を加えて、屈服させようとしていた。
残念ながら、ドイツの意のままにはならなかったのである。当時のイギリスは、世界に先駆けてレーダーの開発と配備を成し遂げ、空軍によるしぶとい守戦を展開したのである。秋口には、イギリス本土上空の決戦に敗れたのである。昭和15年(1940年)6月にドイツの栄光はなりをひそめ、夏を境に、転落の局面を向かえていたと言うのである。
この9月始めには、現地へ派遣された調査団の報告から、米ルーズベルト政権は、このドイツの凋落の始まりをすでに認識していたというのである。
一方、日本陸軍は、多くの軍人をヨーロッパに駐在させていたというのだが、日本はドイツの行き詰まりを把握できず、かつまた、必ず勝つ、すぐに勝つ、気前がいいなどの”親独主義”にからめとられて、ドイツが転落を開始した瞬間にも、ドイツの対英勝利を信じて疑わなかったという。そうして、こうした最悪の状況のもとで、9月27日、「日独伊三国同盟」を結んだのである。「滅びゆく者との抱擁」とも「死の接吻」とも呼ばれるゆえんである。
はたして同盟締結の席上、どのような会話を交わしたのだろうか。