ーそもそも「満州」とはー

そもそも満州国があった中国の東北部は、古くから、支配民族の交代が頻繁に行われ、一支配が長期に渡ることがなかったという。

 やがて満州人による清王朝がここに軍政を敷いて、東部を満州人、西部をモンゴル人、南部を漢人の居住区と定めて移住を禁止した。ところがこの状態が19世紀末に弱体化、ロシアがこの地域に鉄道の敷設権を獲得する。この鉄道の完成が、沿線農産物の大量販売をもたらし、南部から多くの漢人流入して人口の大半を占めるようになるのである。

 そうして昭和6年(1931年)の満州事変を経て、翌昭和7年(1932年)3月、満州国建国に至るのである。

爾来、清王朝最後の皇帝・愛新覚羅溥儀満州国のトップに就任。日本の権益を守るために配備された関東軍の独占的な軍事行動によって開かれた国は、昭和20年(1945年)までの13年5ヶ月の短い歴史で幕を閉じたのである。

 19世紀末以降、日本とロシア(のちにソ連)の利害の衝突する一帯であったのである。

 日本にとっては軍事戦略拠点であり、資源の供給地という「日本の生命線」と位置づけられた地域であった。

 

 しかしながらこの国は国際連盟での承認を得るところとはならず、日本はこれを不服として国際連盟を脱退、国際社会で孤立していったのである。