戦史ブログ「飢餓の戦場」

ー戦史の底流から、学び取るべきは何かー

ービルマのインパール、マリアナのサイパン島ー

昭和19年(1944年)、3月に大東亜戦争ビルマ戦線において、帝国陸軍の「インパール作戦」が開始された。

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 インパール駐留の英軍による中国・蒋介石軍を支援するいわゆる”援蒋ルート”遮断を目的として、7月初旬まで続けられた。後年、その無謀な戦いぶりで悪名高い戦いである。移動路に多くの戦死者が横たわり「白骨街道」と呼ばれた悲惨な作戦であった。

 その同じころ、6月には、マリアナ諸島サイパン島に米軍が上陸、マリアナ沖海戦もあって太平洋上に激しい戦いが繰り広げられていたのである。

 日本軍は当初目論んだ太平洋戦争の短期決着に失敗して、すでに多くの戦力を失っていたのだがー

日中戦争大東亜戦争ー太平洋戦争、同時期に、これだけの広がりである。勝利を求めること自体が、奇跡に近く、ただただ、「無謀」と言うしかない。

 

 戯言に、「ジャワは極楽、ビルマは地獄、生きて還れぬニューギニア」というのがあるそうだ。

この違いは、指揮官の哲学による違い、あまりの劣悪な環境など、多分に兵士に対する人命軽視が透けて見える。

ジャワにおいては、かの「今村均大将」の穏やかな軍政が極楽を招来したのであろう。

ー多くの民間人が「バンザイクリフ」に身を投げたー

 

大正3年(1914年)第一次世界大戦の戦果である。ドイツ領であったサイパン島を日本軍が占領したのである。

 

ここでサイパン島の小史を見てみよう。

 

大正3年   (1914年) 第一次世界大戦(欧州大戦)で、ドイツ領だったサイパン島など南洋諸島を日本軍が占領

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大正9年   (1920年) 国際連盟の委任により日本が南洋諸島を統治

大正11年(1922年)   南洋諸島に「南洋庁」を開設、日本からの入植者数が増大

昭和16年(1941年) 12月8日 真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦

昭和18年(1943年) 9月 「絶対国防圏」設定

昭和19年(1944年) 6月15日 米軍がサイパン島に上陸開始

            7月   7日 サイパン島日本軍最後の組織的抵抗

            7月 9日 米軍がサイパン島占領を宣言

            7月18日 大本営サイパン島玉砕を発表

                  東条英機内閣が総辞職

昭和20年(1945年) 3月10日 東京大空襲

            8月15日 敗戦

 

 米軍によるサイパン島占領は、日本の敗戦を決定的なものにしたという。

日本本土が、B29の往復飛行圏に入ったということである。こうして米軍はいつでも空襲できる状態になったのである。

本土守備の最終的なライン、これが絶対国防圏である。

 日本のサイパンへの第一陣到着は、わずか一ヶ月前だったという。すでに、島の周囲の空も海も米軍の支配下にあったというのである。輸送船は撃沈、兵士も兵器も海に沈んだという。

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 「絶対国防圏」陥落のあとの戦闘の継続を、どう解すべきなのだろうか?

 「戦陣訓」=生きて捕虜の辱めを受けず、の教育のまえに降参もできない。

 そうした中、奇跡的に生き残り捕虜となった兵士の述懐があるー”戦争ほど惨めなものはない”と語ったというのである。「捕虜になると戦車で轢かれ・・・」との噂は嘘、何の危険もなかったという。

また、日本兵は死ぬ前に「天皇陛下、万歳」と叫んだというのだが、この兵士の口からは、戦友の最後の言葉は、「おっかさん、万歳」だったというのである。

 大正3年   (1914年) 第一次世界大戦(欧州大戦)で、ドイツ領だったサイパン島など南洋諸島を日本軍が占領

大正9年   (1920年) 国際連盟の委任により日本が南洋諸島を統治

大正11年(1922年)   南洋諸島に「南洋庁」を開設、日本からの入植者数が増大

昭和16年(1941年) 12月8日 真珠湾攻撃で太平洋戦争開戦

昭和18年(1943年) 9月 「絶対国防圏」設定

昭和19年(1944年) 6月15日 米軍がサイパン島に上陸開始

            7月   7日 サイパン島日本軍最後の組織的抵抗

            7月 9日 米軍がサイパン島占領を宣言

            7月18日 大本営サイパン島玉砕を発表

                  東条英機内閣が総辞職

昭和20年(1945年) 3月10日 東京大空襲

            8月15日 敗戦

 

 米軍によるサイパン島占領は、日本の敗戦を決定的なものにしたという。

日本本土が、B29の往復飛行圏に入ったということである。こうして米軍はいつでも空襲できる状態になったのである。

本土守備の最終的なライン、これが絶対国防圏である。

 日本のサイパンへの第一陣到着は、わずか一ヶ月前だったという。すでに、島の周囲の空も海も米軍の支配下にあったというのである。輸送船は撃沈、兵士も兵器も海に沈んだという。

 

「絶対国防圏」陥落のあとの戦闘の継続を、どう解すべきなのだろうか?

 

「戦陣訓」=生きて捕虜の辱めを受けず、の教育のまえに降参もできない。

 そうした中、奇跡的に生き残り捕虜となった兵士の述懐があるー”戦争ほど惨めなものはない”と語ったというのである。「捕虜になると戦車で轢かれ・・・」との噂は嘘、何の危険もなかったという。

また、日本兵は死ぬ前に「天皇陛下、万歳」と叫んだというのだが、この兵士の口からは、戦友の最後の言葉は、「おっかさん、万歳」だったというのである。

 第一次世界大戦のあと日本の委任統治領になったサイパン、サトウキビ産業が栄えて、沖縄出身者を中心に大勢の日本人が移り住んだというサイパンである。太平洋のミクロネシア、日本から2,400キロのサイパンは今次大戦「玉砕」の島である。追い込まれた多くの民間人が自ら命を絶ったバンザイクリフと呼ばれる”崖”があり、現在は観光地になっているという。

 

 第一次大戦の戦果を、当時の国際情勢に鑑み、大切にして欲しかったと思うのである。ましてや、太平洋戦争開戦の重要な原因ともなった日独伊三国同盟締結の当時、すでに凋落傾向にあったといわれるドイツへの傾斜は、あまりにもお粗末である。

第一次世界大戦のあと日本の委任統治領になったサイパン、サトウキビ産業が栄えて、沖縄出身者を中心に大勢の日本人が移り住んだというサイパンである。太平洋のミクロネシア、日本から2,400キロのサイパンは今次大戦「玉砕」の島である。

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