ー敵を知らず、己を知らずー
流れにまかせた”百戦の暴走”、それがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか?
「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。
日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今次大戦においては、勝利への過信があったのだろうか、軍備の近代化が進む国際社会への認識の欠落があったのだろうか。
はたまた、分かっていても、すでに国力が許さなかったか。それら状況の変遷とは裏腹に、満州事変からアジア・太平洋戦争の終結まで、実に15年におよぶ「転落の歴史」である。
昭和18年(1943年) 出陣学徒壮行会
島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。
アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋上の島から、本土爆撃のための往来が容易になったのである。
ところで、おもな大空襲などの跡を見てみよう。
【大空襲】
①東京大空襲 ー昭和20年(1945年)3月10日
②大阪大空襲 ー昭和20年(1945年)3月13日
③名古屋大空襲ー昭和20年(1945年)3月19日
④橫浜大空襲 ー昭和20年(1945年)5月29日
⑤神戸大空襲 ー昭和20年(1945年)6月5日
⑥広島原爆投下ー昭和20年(1945年)8月6日
⑦長崎原爆投下ー昭和20年(1945年)8月9日
【艦砲射撃】
①釜石ー昭和20年(1945年)7月14日
②日立ー昭和20年(1945年)7月18日
③新宮ー昭和20年(1945年)7月27日
④浜松ー昭和20年(1945年)7月29日
⑤清水ー昭和20年(1945年)7月31日
【空襲・艦砲射撃・地上戦】
※沖縄ー空襲、艦砲射撃、機銃掃射、そして地上戦も、一般市民の死者は10万人と言
われている。昭和20年(1945年)3月23日からは、断続的に艦砲射撃も受けたと
いう。
昭和20年(1945年) 東京大空襲
米軍、沖縄本島上陸
広島・長崎に原爆投下
日本国憲法公布
昭和23年(1948年) 東条英機ら7人に死刑判決
昭和25年(1950年) 朝鮮戦争始まる
昭和26年(1951年) サンフランシスコ講和条約
引揚げ、飢えなどの数多くの苦しみを引きずりながら「戦後」が始まるのである。
『庶民の戦い』はようとして終りを告げない。
※ちなみに「埼玉県平和資料館」には、15分間で空襲警報が流れ防空壕に避難するなど、戦時中のある一日を疑似体験できるコーナーがあるそうである。