アジア・太平洋戦争ー昭和19年(1944年)1月~11月24日を見る

この年は、大本営インパール作戦の認可で明けるー理不尽なあの「白骨街道」を生んだ作戦である。

〈80〉1月7日、 大本営インパール作戦を認可
〈81〉1月24日、 大本営大陸打通作戦(中国大陸ー1号作戦)
〈82〉2月6日、 クェゼリンの守備隊玉砕
〈83〉2月23日、 ブラウンの守備隊玉砕
〈84〉3月8日、 インパール作戦、第33師団進撃開
〈85〉3月15日、 第15師団、第31師団インパールに向け進撃開始
〈86〉4月6日、  第31師団、インパール北方コヒマを占領
〈87〉4月17日、 支那派遣軍大陸打通作戦開始
〈88〉6月1日、  第31師団、補給途絶のためコヒマを放棄、撤退
〈89〉6月15日、 米軍、サイパン島に上陸
〈90〉6月16日、 成都から飛来したB-29が北九州を爆撃(B-29による日本初空襲)

〈91〉6月19日、 マリアナ沖海戦
〈92〉6月28日、 ビアク島守備隊玉砕
〈93〉7月5日、  ビルマ方面軍、第15師団にインパール作戦中止命令
〈94〉7月7日、  サイパン島の日本軍守備隊玉砕
〈95〉8月2日、  テニアン島の日本軍守備隊玉砕 
〈96〉8月11日、  グアム島の日本軍守備隊玉砕
〈97〉9月10日、  中国雲南省拉孟の日本軍守備隊玉砕
〈98〉9月14日、  中国雲南省騰越の日本軍守備隊玉砕
〈99〉10月19日、 アンガウル島の日本軍守備隊玉砕
〈100〉10月23日、 レイテ沖海戦
〈101〉10月25日、 海軍に神風特別攻撃隊、初出撃(指揮官・関行男大尉)
〈102〉11月23日、 ペリリュー島の日本軍守備隊玉砕
〈103〉11月24日、マリアナ諸島から出撃したB-29による東京初空襲ー以後、空襲が激化する。
 
 あらためてこうして列記してみると、いかに玉砕に次ぐ玉砕であったかが分かるのである。はたして「皇国日本」とは何だったのだろう。この年7月には、絶対防衛圏サイパンテニアンでの相次ぐ玉砕、そうして7月18日には、防衛権の死守ならず、東条英機内閣はその責任をとって総辞職するのである。もはや国体は崩壊寸前であったのである。国体護持の責任主体を考えるとき、東条の辞職などでは、そもそも済む話ではないのである。

連絡先:yonaosikozo@yahoo.co.jp

おすすめ情報

お買い物は、いつもの楽天