9月の風景には「桜」がいないー

なんでもかんでも”グローバルスタンダード”は、反対である。

学業スタートに9月説を採った場合、いずれにしろ賛成論のなかには、

いろいろなメリットもあるだろう。

しかしそれはどんな場合でも同じこと、それらを乗り越える智恵はある。

そもそも日本的であることは、そんなに悪いことだろうか。

多分に情緒的過ぎるだろうという批判もありそうだ。

しかし、私は、「風景」を大事にしたい。

テクニカルを論じる前に、時代を超えてなお、日本人たらんとする、

日本人の心象風景を視点、論点に入れたい。

忘れまい「桜」によせる日本人の”心”を。

(了)