2021-02-01から1ヶ月間の記事一覧

「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてー岩手、東京

さあ、今日は岩手県に足を延ばしますね。 1.【騎兵第3旅団】ー岩手県盛岡市 明治42年(1909年)編成され、第8、第23、第24騎兵連隊で構成された。第8騎兵連帯は弘前、そして第23と代24騎兵連隊と旅団司令部は盛岡に駐屯した。 昭和3年(1928年)…

「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてーNo.2青森編

さて、続いては「青森県」である。 1、【竜飛監視哨】(哨=みはり)ー青森県東津軽郡外ヶ浜町 何といってもここの要衝は、津軽海峡である。日本海と太平洋を結ぶ国際海峡であり軍事上の重要なポイントである。ここはロシアの艦船などが通航することもあっ…

「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてーN0.1北海道編②

引き続き北海道の戦跡を訪ねる。 4、【旭川第7師団】(だいしちしだん)-北海道旭川 第7師団は、北辺の守りを担当する重要な師団である。 明治32年(1899ねん)敷地を買収して、6月から兵舎その他の工事が始められた。明治37年(1904年)日露戦争に出征し…

戦争の記憶を次世代へー訪問「日本国内の戦争遺跡」No.1北海道編①

今回は日本国内の戦争の傷跡を辿ってみよう。戦跡をなぞる旅である。明治初期からアジア太平洋戦争終結まで、日本が関わった軍需工場や戦災地、軍事施設などである。1970年代から、戦争体験や戦争遺跡の掘り起こしが始まったのだという。 平成7年(19…

後世に伝えたいー「戦争の悲劇」③

故郷を離れ、否、故郷を追われというべきかも知れない。無論、家族との離別でもある。ところで、あらためて世界地図を広げてみる。故郷を追われた兵士たちの辿ったアジア太平洋戦争の戦場の跡である。マレー半島コタバル、真珠湾攻撃の舞台・ハワイオアフ島…

後世に伝えたいー痛ましい「戦争の悲劇」②

こんな”逸話””から始めてみたい。 昭和2年(1927年)ことである。悪化していた日米関係の改善を目論んだ宣教師シドニー・ルイス・ギューリック博士と実業家の渋沢栄一が青い目の人形、およそ1万2700体を全国の幼稚園や小学校に配ったという。「平…

後世に伝えたいー痛ましい「戦争の悲劇」①

四方を海に囲まれた国・日本の戦場は、押しなべて海の彼方であったが、太平洋戦争の末期、昭和19年(1944年)11月からは、日本本土に移ったのである。10月25日に神風特攻隊が初出撃、11月23日ペリリュー島の日本軍守備隊が玉砕、11月24…

アジア太平洋の戦跡ー「日中戦争」編

柳条湖事件、満州国、日中全面戦争と、近代の日本は、「日中15年戦争」と呼ばれるように、常に中国大陸とともにあった。まさにその中国との関係を原因として、昭和16年(1941年)太平洋戦争に突入するのである。 かくして、陸軍は中国大陸、海軍は太平洋戦…