2021-04-01から1ヶ月間の記事一覧

ードイツ近世史に見る膨張主義と日本ー

日独に共通して見て取れるのは、敵国に対する状況認識の欠落のようである。「日独伊三国同盟」締結の暴挙ー 先ずは、ドイツの近世史を見てみよう。 1814年(文化11年)ー1870年(明治3年)の「ウィーン体制」である。 ナポレオン・ボナパルトの敗…

ー米軍の本格反攻開始、ガダルカナル戦で大敗ー

日本から6,000㌔の距離にある南太平洋・ソロモン諸島の激戦の地「ガダルカナル島」である。 久しぶりに太平洋戦争画集を眺めていた。 昭和17年(1942年)9月15日のことである。ヘンダーソン飛行場の攻撃に失敗した、川口支隊の兵士達の遺体が無残な姿をみ…

ー二大「戦跡」に見る太平洋戦争ー

伊江島は東洋一と言われた飛行場が建設されたため、米軍の主要な攻撃目標とされたのである。 沖縄伊江島である。昭和20年(1945年)4月16日、米軍が上陸、すぐさま飛行場は占領されたのである。この伊江島の戦い(~21日)では、一般住民およそ1,5…

ー二大「戦跡」に見る太平洋戦争ー

昭和19年(1944年)7月のサイパン陥落の後、本土爆撃と本土決戦が、いよいよ現実味をおびてくる。 ことは、「政府中枢機能移転」の問題である。そもそも太平洋戦争の以前から、広大な関東平野の端に位置し、海からも近い首都「東京」は著しく防衛機能が脆弱で…

ー敵を知らず、己を知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、それがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今次大戦においては、勝利への過…

原点回帰ー日清戦争、満州国、盧溝橋そして日中全面戦争へー

近代の日本は、「日中15年戦争」と呼ばれるように、常に中国大陸とともにあった。 まさにその中国との関係を原因として、昭和16年(1941年)太平洋戦争に突入するのである。かくして、陸軍は中国大陸、海軍は太平洋戦争という構図になるのである。双方は国家…

ー日露戦争から大正政変へー

歴史は、遡ることによって、あるべき現在と未来とを示唆してくれるものである。 日露戦争の前段には、日清戦争があったのである。明治27年(1894年)7月25日から明治28年(1895年)4月17日にわたった日本と清国との朝鮮半島をめぐる戦いである。 この戦争に勝利…

ー日本と台湾の五十年ー

日清戦争終了のあと、下関条約に基づいて、清朝(当時の中国)から「台湾」が日本に割譲された。 明治28年(1895年)4月17日のことであった。爾来、日本のアジア・太平洋戦争の敗戦によって終焉を向かえる昭和20年(1945年)10月25日までの50年間、台湾は日本の統…

ー仏領インドシナへの日本軍進駐ー

第二次世界大戦下、日本軍によって、昭和15年(1940年)北部仏印進駐と翌昭和16年(1941年)の南部仏印進駐が行われた。 フランス領インドシナへの日本軍の進駐のことである。とりわけ南部仏印進駐によって、日米関係に抜き差しならぬ決裂をもたらし、これに…

ー第二次上海事変、そして支那事変へー

日本軍の北平(北京)攻撃開始が、1937年(昭和12年)7月下旬のことである。 29日には、日本軍が北平を占領、10月12日、北平を北京と改名、12月14日には中華民国臨時政府が誕生する。1945年(昭和20年)8月15日の日本敗戦まで占領…

ービルマのインパール、マリアナのサイパン島ー

昭和19年(1944年)、3月に大東亜戦争のビルマ戦線において、帝国陸軍の「インパール作戦」が開始された。 インパール駐留の英軍による中国・蒋介石軍を支援するいわゆる”援蒋ルート”遮断を目的として、7月初旬まで続けられた。後年、その無謀な戦いぶ…

ー満州開拓民の悲哀ー

昭和20年(1945年)ごろの満州国には、およそ155万人の日本人が暮らしていたという。 おおかたは、鉄道沿線の都市部で行政機関の関係者や商売をしている人達で、近代的な生活をしていたそうである。しかし、その一方では北部の奥地に移り住んだ「開拓…

ーそもそも「満州」とはー

そもそも満州国があった中国の東北部は、古くから、支配民族の交代が頻繁に行われ、一支配が長期に渡ることがなかったという。 やがて満州人による清王朝がここに軍政を敷いて、東部を満州人、西部をモンゴル人、南部を漢人の居住区と定めて移住を禁止した。…

ー満州の国づくり、「五族協和」「王道楽土」ー

昭和10年(1035年)当時の満州国には、3500万人弱の人々が住んでいたらしい。 その人口内訳は、漢人が7割強、満州人が16%強、朝鮮人が2%強、日本人は0.4%程度のようである。モンゴル人は不明のようである。その満州で国づくりの理想とされ…

ー一般の人達を見捨てた「関東軍」ー

アジア・太平洋戦争末期、関東軍は、満州国にいた日系成人男性15万人を根こそぎ戦場にかりたてた。 そうして、女性や子ども、老人だけになったところにソ連軍が突如侵攻、長く抑圧されていた漢人の怒りも爆発して、日本人は略奪や暴行の餌食となって、あま…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今次大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー敵を知らず、おのれを知らずー

流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか? 「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。 日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー蜂の巣になった本土ー

島国日本の戦場は、遥か海の彼方であった。それが昭和19年(1944年)11月から、本土に移ったのである。アメリカが日本向けに開発した大型戦略重爆撃機B29の登場によるのである。 「超空の要塞」と呼ばれたこのB29は、米軍が前線基地にした太平洋…

ー見抜けなかった「ドイツの凋落」

日独に共通して見て取れるのは、敵国に対する状況認識の欠落のようである。 昭和15年(1940年)の夏、ドイツはイギリス本土へ連日爆撃を加えて、屈服させようとしていた。 残念ながら、ドイツの意のままにはならなかったのである。当時のイギリスは、世界に先…

ーヘンダーソン飛行場の攻撃に失敗ー

久しぶりに太平洋戦争の画集を眺めている。 日本から6,000キロの距離にある南太平洋・ソロモン諸島の激戦の地「ガダルカナル島」である。 昭和17年(1942年)9月15日のことである。ヘンダーソン飛行場の攻撃に失敗した、川口支隊の兵士達の遺体が無残な姿をみ…

ー名将が見当たらないー

とある出版社の、ある日の風景である。編集長の指示はこうである。 盧溝橋から長崎まで8年に亘ったアジア・太平洋戦争である。戦史に名を刻まれるとしたら、その陸軍大将は誰だろうか? 少ないといっても一人ぐらいはいるだろう。これが編集長氏の御説である…