ー名将が見当たらないー
とある出版社の、ある日の風景である。編集長の指示はこうである。
盧溝橋から長崎まで8年に亘ったアジア・太平洋戦争である。戦史に名を刻まれるとしたら、その陸軍大将は誰だろうか?
少ないといっても一人ぐらいはいるだろう。これが編集長氏の御説である。
この8年の間には、大将21名、中将255名が名を列ねたという。よもや絶無はあるまいというのである。
昭和16年11月、第16軍司令官に就任。翌年3月、オランダ領のインドネシアをわずか10日間の戦闘で攻略、その後は穏健な軍政を敷いた御仁である。日本陸軍屈指の名将と呼ばれた、陸軍大将・今村均その人である。
オランダ軍に捕らえられていたスカルノを解放、「日本軍に協力するのも、しないのも自由です。あなたの政治信条に従ってよろしい」と申し渡したというのである。
そののち、昭和17年(1942年)11月、今村は第8方面軍司令官となって、ラバウルに赴任。ただちにガダルカナルの将兵救出に取り組み、餓死寸前だった1万名の救出を成功させたのである。ほとんど”奇跡”であったという。
「名将」はいたのであるーその後の、とある出版社の編集作業は推して知るべしである。
政治外交史家・北岡伸一氏によれば「悲惨な南太平洋戦線の一つの慰めは今村均の存在である」とのことである。
今村は有能な軍人であった。一方、統治者としても、その寛大な施政で現地の人々からも敬愛されたそうである。
後年、スカルノ大統領の日本訪問の際、両名は、帝国ホテルにおいて劇的な再会を果たし、往事を忍び固い握手を交わすのである。