ー敵を知らず、おのれを知らずー
流れにまかせた”百戦の暴走”、これがアジア・太平洋戦争の実相ではなかったか?
「敵を知り、おのれを知れば百戦危うからず」のはずである。
日清戦争、日露戦争、そして欧州大戦(第一次世界大戦)と戦果にあやかった日本は、今時大戦においては、勝利への過信があったのだろうか、軍備の近代化が進む国際社会への認識の欠落があったのだろうか。
はたまた、分かっていても、すでに国力が許さなかったか。それら状況の変遷とは裏腹に、満州事変からアジア・太平洋戦争の終結まで、実に15年におよぶ「転落への歴史」である。
昭和6年(1931年) 満州事変
昭和7年(1932年) 満州国建国宣言
昭和8年(1933年) 国際連盟脱退
昭和12年(1937年)盧溝橋事件【日中戦争開始】
昭和13年(1938年)国家総動員法公布
昭和14年(1939年)ノモンハン事件
昭和16年(1941年)真珠湾攻撃
昭和17年(1942年)ミッドウェー海戦
昭和18年(1943年)出陣学徒壮行会
昭和19年(1944年)神風特別攻撃隊出撃
昭和20年(1945年)東京大空襲
米軍、沖縄半島上陸
広島・長崎に原爆投下
日本国憲法公布
昭和23年(1948年)東条英機ら7人に死刑判決
昭和25年(1950年)朝鮮戦争始まる
昭和26年(1951年)サンフランシスコ講和条約
引揚げ、飢えなど数多くの苦しみを引きずりながら「戦後」が始まるのである。
『庶民の戦い』はようとして終わりを告げない。