「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてー岩手、東京

 

さあ、今日は岩手県に足を延ばしますね。

1.【騎兵第3旅団】ー岩手県盛岡市

 明治42年(1909年)編成され、第8、第23、第24騎兵連隊で構成された。第8騎兵連帯は弘前、そして第23と代24騎兵連隊と旅団司令部は盛岡に駐屯した。

昭和3年(1928年)10月、岩手平野での特別大演習に北軍の主力として参加した。

PCのメンテナンスで大部間を空けてしまいました。引き続き頑張ってまいります。

 最終的に全国に及びますが、あまりにも多そうなので、際だった所に絞って書きたいと思います。

2、靖国神社ー東京都千代田区九段北

 国家のために殉難した人々の英霊246万6千余柱が祀られている。そもそも明治天皇の意向で立てられた招魂社が由緒。全国の護国神社と関わりが深い。

 幕末・維新の志士を始めに、1853年(嘉永6年)の黒船来航後の事変・戦争に関わった軍人、軍属ら国事に殉じた戦没者の「英霊」計246万6532柱(2004年10月17日現在) が祀られている。当初は「忠霊」と呼ばれたが、日露戦争後に「英霊」と呼ばれるようになったという。

 当初1座であった神座は、昭和34年(1959年)に創建90年を記念して、北白川宮能久親王(きたしらかわのみやよしひさしんのう)、北白川宮永久王(きたしらかわのみやながひさおう)を祀る1座が加わり現在は2座であるという。

 敷地内の「遊就館」で戦史の学習をお勧めしたい。

3、千鳥ヶ淵戦没者墓苑ー東京都千代田区千鳥ヶ淵

 靖国神社からの徒歩圏にある。日中戦争と太平洋戦争の戦没者遺骨のうちで、遺族への引き渡しがかなわなかった遺骨が安置されている。日本国政府の設置による戦没者慰霊施設である。日中戦争と太平洋戦争のさなか、国外で死亡した日本の軍人、軍属、民間人のうちで、身元不明者や引き取り手のない遺骨を安置しているのである。創建は昭和34年(1959年)。昭和天皇から下賜された骨壺に各地から集められた遺骨を少しずつ納めて、全戦没者の象徴として六角堂に安置されている。およそ35万8千柱で ある。

 私も靖国参拝の帰途に訪れ、菊花を捧げてきた。

 

 

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