「日本国内の戦争遺跡」を訪ねてー東京続編

 

 東京都東大和市である。

「旧日立航空機立川工場変電所」である。昭和13年(1938年)から平成5年(1993年)まで使われた変電所である。

 東京瓦斯電気工業株式会社として作られ、翌年日立製作所と合併して、日立航空機株式会社立川工場<立川発動機製作所>の変電所へ改称。

 戦局激化の中で、昭和20年(1945年)2月17日、ヘルキャット戦闘機、4月19日、ムスタング戦闘機らによって機銃掃射を受け、4月24日にはB-29の編隊の空襲で被災した。隣接の工場は大破したが爆撃痕を受けつつも大きな被害を遁れたのである。

 

 続いて、東京都八王子市西南部、初沢町・高尾町の地下壕である。

「浅川地下壕」である。

  坑道や地下壕は京王高尾線脇の「イ地区」、三和団地下の「ロ地区」、八王子市立浅川中学校南側の「ハ地区」の3地区に分かれて存在しているという。総延長は10キロメートル以上といわれる。

 昭和19年(1944年)9月、「浅川倉庫建設工事」名義で工事は開始されたが、「秘密地下工場 中島飛行機浅川工場」建設が本来の目的である。

 アメリカ軍による八王子空襲もあったが、地下壕の存在は判明しなかったため、被害はなかったという。

 太平洋戦争後期に中島飛行機武蔵製作所の疎開工場として使用されたのである。

 武蔵野製作所(武蔵野市)では、一式戦闘機(隼)、零式艦上戦闘機(零銭)向けのエンジンを製造していたのである。

 現在は「イ地区」だけが月一回公開されているという。

 

 

 

 

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