政治は分かりにくいことばかりだ

 

世の中の激しい変化に視点を合わせると、国会のやりとりなどは実にのんびりしているように映る。一方、学校を休業といったり、先に希望を繋ぐことを指すのか、前広といってみたり、元原稿は官僚が書くにしろ、チェックのために、事前に目を通しているように見えない。

結局、国会での膨大な時間、すなわち膨大な税金の費消から、何かが生まれているような実感が全く伝わってこない。

国家議員の逮捕だの、失言、放言だの、発言に責任を取らないだの、本来の国家的事業の遂行には何の関係もないのだ。無論、ほっとけることではないが。

時折「信なくば立たず」などという大層な言葉が、永田町を横切るが、どの口が言ったのか、空々しい。発言者が真の意味を理解していると思えない。

だいたい、10年前には、公衆衛生への手厚い対策を誓ったらしいが、コロナで化けの皮が禿げてみると、この間何も手は打たれなかったようだ。

さて、政局など見るに耐えない。

政治家が正しく武士ならば、「国家改造大綱」の実践に向けて、わき目もふらずにくだらん政局になど振り回されず、必死で汗をかいてはどうだ。大体、腹の底にしかるべく「哲学」はお持ちか。とにもかくにも、うすっぺらは駄目だ。

(了)