暑い夏の終りにー

 広島、長崎の壮絶な記憶をたどる暑い夏がもうすぐ終わる。

昭和20年、8月6日午前8時15分の広島、8月9日午前11時02分の長崎への原爆投下という、いまわしい、あの記憶である。

 今年の広島の平和式典で、市長は核兵器禁止条約への批准を政府に求めた。式典に列席した総理は、時折目をつむり、「ゼロ回答」だったと。私はこう思う。

 世界唯一の核被爆国”日本”の目指す道は、国際社会の中で「特別な国」であるべきと思う。特別とは、普通の国ではないという意味である。ややもすると、究極の抑止力は核武装との思い入れが、多くの国に見られる空気があろうか。それを普通の国と考える対局の指向である。であれば、核兵器禁止条約などは率先して批准すべき立場であろう。さて、ここ一年ばかり、「日本の戦(争)史」を編んでいた。

それなりに大分の資料が完成した。次回以降、それぞれの局面から、書き続けていきたいと思っている。中心はいわゆる先の大戦、「太平洋戦争」である。

それは単に事実の列挙ではなく、それぞれの戦場で、虚しく散った多くの”兵士達の肉声”に迫りたいとの思いである。

 少し道がそれるが、私の考える国体はこうである。天皇、皇后は「日本の”品格”」を代表する。さぞかし窮屈なお立場であろうとお察し申し上げ、ご苦労が忍ばれるところである。とりわけ現下の上皇上皇后とともに歩んだ平成には思い入れが強い。長くお健やかにと願うばかりである。

 すべては、日本人の品格を軸として、為にする教養、素養の練磨をいかに醸成するかを探る旅にしたい。

 ところで我が戦史だが、あらためて太平洋の地図を広げて見る。

1941年昭和16年の真珠湾攻撃と英領マレー上陸に端を発し、1942年昭和17年ミッドウエー海戦、日本軍敗北、1943年昭和18年アッッ島、キスカ島という絶海の孤島に全員玉砕そして南洋の多くの島嶼に、さらに硫黄島、沖縄、本土へと戦火を拡大した。否、戦渦を引きずったと言うところが実相か。

 そして最悪の行軍といわれるインパール作戦である。

戦士達の実相は、「自決と玉砕」か、多くが餓死、病死で死滅したと言われている。

果たして南洋の島々に散った多くの屍の命を思うとき、「なぜ」が消えない。

何のことはない、「人の命を何だと思ってるんだ!」この一言である。国のためという欺瞞にくるまれた無理強いではなかったのだろうか。

 もとより生還の望むべくもない特攻隊が、1944年昭和19年レイテ沖に出撃している。

(了)