戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

 小作争議多発 農村不況を原因として「小作争議」が発生した。当初は凶作や自然災害によって一時的にあるいは非組織的なレベルで発生していたが、日露戦争(1904年・明治37年2月~1905年・明治38年8月)の終わったあたりから、米穀検査に対する反発から、小作争議は激化していく。1920年代に入ると大正デモクラシー(1910年代~1920年代、民本主義の発展、自由主義的な運動、風潮、思潮の総称)の影響を受ける中で、各地で農民運動が頻発するようになってゆく。自然な流れである。国際的にも1920年(大正9年)120月にはスイスのジュネーブで第3回目の国際労働会議が開催され農業労働者の団結権問題が論じられていた。

 自然を相手にするという”農業”の宿命から、検査による抑圧は決して一方的なものであっていいわけはない。帰結するところ、国民の”食”は政府と農業者という、単純な構図の問題ではない。

 今日は些事で時間をとられ、ここでアップ。

(了)