専門家会議の風景に違和感ー

新型コロナ問題への政府の対策会議、あの「専門家会議」の風景にとても違和感を

覚えている。巨大な空間に多勢の列席、どういう人達なのかは、ほとんど分からない。

発言の機会は得られなかったという御仁も少なからずいるようである。

 当たり前のように受け止めている風景には、多額の出席費用、すなわち税金が費消されているのだとも思うし、これはみせかけか、単なる政府のパフォーマンスのように見えて仕方が無い。

そもそも会議ってなんだろう。

会議は、会して議せず、議して決せず、決して行わずなどとよく言われる。

 私見会議論ならば、

小さめのテーブルに、高邁な理念を持ち、世俗に通じた少人数を、幅広い立場から選定。傍らに一締め500枚のわら半紙を置いて、腕まくり、ねじりハチマキで、

この”一手”には、どのような問題が発生するだろうか?どのような効果が期待できるだろうか?市井の片隅にまで思いを致し、基礎情報をしっかりと共有し、その上で、闊達な上にも闊達な議論、意見百出、否、千出、万出、この筋立てで、果たして国民の共感を得ることができるか?

 為にする議論など、何の役にも立たない。

第一、背広など着込んで納まり返っていては、魂の奥からは「血の叫び」は出てこまい。

 それにしても、現政権の最大の失態は、対策と予算配分の優先順位を決定的に間違っていることだろう。

(了)