2020-01-01から1年間の記事一覧

戦史と世相ーシリーズ⑤ 「若き兵士たちの悲劇」昭和18年(1943年)~昭和19年(1944年)

第3次近衛内閣の後を受け、太平洋戦争中の大方の期間を東条英機が内閣総理大臣をつとめた。昭和16年(1941年)10月18日~昭和19年(1944年)7月22日である。東条は、戦争の収束をつけられぬまま総辞職、終戦への繋ぎ内閣として小磯國昭…

戦史と世相ーシリーズ⑤ 「若き兵士たちの悲劇」昭和18年(1943年)~昭和19年(1944年)

昭和18年(1943年)11月20日(~11月23日)には、ギルバート諸島ブタリタリ環礁において、日本軍守備隊とアメリカ軍との戦闘が行われた。いわゆるのマキンの戦いである。 翌11月21日(~11月23日)からは、同じギルバート諸島のタラワ…

戦史と世相ーシリーズ⑤ 「若き兵士たちの悲劇」昭和18年(1943年)~昭和19年(1944年)

振武隊は、海軍の特攻隊として先に動き出していた神風特攻隊と歩調を共にするようになっていく。そして沖縄戦開始の昭和20年(1945年)4月1日、第20振武隊を皮切りとして、知覧からの特攻出撃が始まるのである。それ以降、海軍の鹿屋航空基地とと…

戦史と世相ーシリーズ⑤ 「若き兵士たちの悲劇」昭和18年(1943年)~昭和19年(1944年)

この時期の戦跡を見てみようと思う。 1943年(昭和18年)1.02日本軍、ブナ守備隊、ギルワ守備隊全滅(東部ニューギニア) 1.29レンネル島沖海戦 2.02ガダルカナル島から撤退開始 3.02ビスマルク海海戦 3.27アッツ島沖海戦 4.0…

戦史と世相ーシリーズ④ 「立ち上がれ小国民」昭和16年(1941年)~昭和18年(1943年)

昭和17年(1942年)4月18日には、アメリカ陸軍航空軍の爆撃機によって、日本本土が初めて空襲を受ける。指揮官ジミー・ドーリットル大佐にちなんで、ドーリットル空襲と呼ばれ、航空母艦ホーネットから発信され、太平洋戦争で初めて日本本土が攻撃…

戦史と世相ーシリーズ④ 「立ち上がれ小国民」昭和16年(1941年)~昭和18年(1943年)

この時点には、政局が大きく動いた。 事実上の改造内閣である第三次近衛内閣が、発足後3ヶ月で東条英機陸相と決裂、近衛内閣は、後継内閣模索の中、一方的に内閣を放棄したのである。 この事は、米国・ルーズベルト大統領から、中国大陸、仏領インドシナか…

戦史と世相ーシリーズ④ 「立ち上がれ小国民」昭和16年(1941年)~昭和18年(1943年)

第一次大戦後は、戦時動員力の強化を進めるため、学校教練だけではなく、特に、1926年(大正15年)の青年訓練所の設立後は、一般青年に対しても実施された。いわゆる「軍事教練」である。旧制中学校以上の教育機関で終戦まで実施されたのである。射撃…

戦史と世相ーシリーズ④ 「立ち上がれ小国民」昭和16年(1941年)~昭和18年(1943年)

「小国民」とは、戦時中に使われた、小学生に向けて使われた呼び名。小さくとも”国民”なんだぞ、頑張れという意味だ。一方、「少国民」という言葉は、銃後に位置し、年少の皇国民という意味だそうである。 さて、昭和16年(1941年)1月8日、ときの陸…

戦史と世相ーシリーズ③ 「銃後の女性たち」昭和13年(1938年)~昭和15年(1940年)

留まることなく戦闘は続いてゆくー。 昭和13年(1938年)12月18日から重慶爆撃が開始される。昭和12年(1937年)の第二次上海事変で、日本軍が首都南京を攻略・占領、蒋介石の中国国民党政府はやむなく漢口へ、さらに重慶へと首都を移転した…

戦史と世相ーシリーズ③ 「銃後の女性たち」昭和13年(1938年)~昭和15年(1940年)

ぜいたくは敵だー 1939年(昭和14年)2月に、国民精神総動員運動を挙国実践運動として強化する方針を打ち出したのが、平沼騏一郎内閣である。精動委員長荒木貞夫文相のもとで、9月から毎月1日を興亜奉公日と定め、国民に、前線の労苦を忍ぶ耐乏生活…

戦史と世相ーシリーズ③ 「銃後の女性たち」昭和13年(1938年)~昭和15年(1940年)

さらなる戦意高揚をめざしたか、軍部は、武漢を利用したメディア戦略を展開する。 文芸春秋社の菊池寛に要請して、当時の人気作家や流行作家が集められたという。 陸軍には、林芙美子や深田久弥、川口松太郎らが、海軍には、菊池寛や古屋信子、佐藤春夫らが…

戦史と世相ーシリーズ③ 「銃後の女性たち」昭和13年(1938年)~昭和15年(1940年)

大東亜戦争(日中戦争)の長期化で、総力戦の遂行が必要になった。このような事態向けて、昭和13年(1938年)第一次近衛内閣において、「国家総動員法」が制定された。。この法律は、人、物すべての資源を政府が統制し、運用できるとした法律である。…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1037年)

1937年(昭和12年)7月7日に盧溝橋事件が起こった。これによる日中戦争(支那事変)を契機にして、国民全員を戦争に駆り立てようと、「八紘一宇」「挙国一致」「堅忍持久」という三つのスローガンを掲げて、「国民精神総動員運動」が始められる。(※…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

太平洋戦争の終結までの日本では、20歳に達した成人男子は全員徴兵検査を受けることが義務づけられていた。4月~5月に通知が届き、検査に合格した者は1月10日に各連隊に入営する。志願によって17歳から入営することもできた。身長、体重、病気の有…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

日本軍の北平(北京)攻撃開始が、1937年(昭和12年)7月下旬のことである。29日には、日本軍が北平を占領、10月12日、北平を北京と改名、12月14日には中華民国臨時政府が誕生する。1945年(昭和20年)8月15日の日本敗戦まで占領…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

1931年(昭和6年)9月18日柳条湖事件が発生、 中華民国国民党政府は、9月19日国際連盟に報告、事実関係の調査を求めたー いささか時間軸が前後して申し訳ない。同年12月10日、国際連盟理事会において「国際連盟日支紛争調査委員会(リットン…

戦史と世相―シリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

「日露戦争」勃発、ロシアの南下政策に対応ー 明治37年(1904年)~明治38年(1905年)である。 国力消耗著しい日本、そして、国内に革命をかかえるロシア、ともに困難な戦争継続 の前で、米国ローズベルト大統領の斡旋により収束、1905年(…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

「自ら計らわず」とは、広田弘毅の言葉である。斎藤内閣の外相、二・二六事件後に総辞職をした岡田内閣の後を受けて、自ら計らわず、やむなく引き受けた総理の座である。1936年(昭和11年)59歳であった。 私の広田に対する印象は、誠実な人柄と広い…

戦史と世相ーシリーズ② 「赤紙の届く日」昭和11年(1936年)~昭和12年(1937年)

海軍の青年将校たちが犬養首相を殺害、1932年(昭和7年)5月15日であるー 世にいう五・一五事件である。国を変えたい!国民の生活が荒廃を極めた末に、海軍の青年将校と陸軍士官候補生らが中心になってこの事件は起きた。他に、農業主義の団体「愛郷…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

永田鉄山斬殺事件や天皇機関説問題で、ファッショの高まりが顕著に、これが昭和10年(1935年)である。これに先立つ1931年(昭和6年)、1934年(昭和9年)の大凶作が農家の生活を圧迫し、昭和恐慌とも重なって、血盟団事件」、五・一五事件…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

「東洋のモスクワ」はこうして誕生した。中国では「北満の上海」と呼ばれたハルビン(哈爾浜)市は、1896年(明治29年)、帝政ロシアが東清鉄道の敷設権を獲得し、巨費を投じ、東方進出の拠点として建設した大都市である。 ここハルビンは、北流してア…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

1931年(昭和6年)関東軍が、南満州鉄道の線路を爆破。この柳条湖事件を端緒に、関東軍は約5ヵ月で、中国東北部(満州)全土を占領した。いわゆる「満州事変」である。そうして日本は、満州国建国へ、日中全面戦争へ、国際連盟脱退、日独伊三国同盟締…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

日本帝国陸軍の総軍(主に陸軍において戦域を統括する最大規模・最上級の編成単位)の一つ関東軍は、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行した。これらは明確な軍規違反であり、大元帥・昭和天皇の許可をとらない軍事行動は、本来、死刑に処せられる程の重…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

日本帝国陸軍の総軍の一つ、関東軍は、張作霖爆殺事件や満州事変を独断で実行した。これらは明確な軍規違反であり、大元帥・昭和天皇の許可をとらない軍事行動は、本来、死刑に処せられる程の重罪である。首謀者らは処罰されるどころか、なぜかみな出世した…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

大連、三国干渉でロシアが租借 1895年(明治28年)4月23日にフランス、ドイツ帝国、ロシア帝国の三国が日本に対して行った勧告、これが三国干渉である。すなわち日清戦争=1894年(明治27年)~1895年(明治28年)、日本と清国の間で行われ…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

満州・撫順炭鉱 面積6、000平方メートルの世界最大級の炭鉱、露天掘り炭鉱と坑内掘りがあり、東西17キロ、南北44キロにおよぶ。それが撫順炭鉱である。満州国にとって、大変に貴重な資源であった。 奉天の(瀋陽)の東約30キロに位置しする。19…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

日本統治時代 明治時代以降、1945年(昭和20年)までの日本は、大日本帝国を構成した。これがいわゆる日本の統治時代である。 北海道・本州・四国・九州を構成する47都道府県のいわゆる「内地」。これに対して満州事変~支那事変(日中戦争)・太平…

戦史と世相ーシリーズ① 「夢は満蒙開拓へ」昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)

小作争議多発 農村不況を原因として「小作争議」が発生した。当初は凶作や自然災害によって一時的にあるいは非組織的なレベルで発生していたが、日露戦争(1904年・明治37年2月~1905年・明治38年8月)の終わったあたりから、米穀検査に対する…

戦史と世相ーシリーズ①「夢は満蒙開拓へ」【昭和4年(1929年)~昭和10年(1935年)】

関東大震災からの復興 関東大震災からの復興、恐慌による莫大な負債が日本経済を圧迫、農村や零細企業が疲弊。その長引く不況のなかで、希望は満州への移民に委ねられていった。 柳条湖事件に端を発し、関東軍は5ヶ月で、中国東北部(満州)全土の占領し、…

いまなお激戦地に放置される兵士の遺骨ー

あの作曲家の三枝成彰さんが、こんなすごい人だとは、失礼ながらこれまで全く知らなかった。 2011年から有志団員を募って、かつてのアジアの激戦地を巡る「慰霊献歌の旅」を行っているという。その名を三枝さんが団長を務める”六本木男声合唱団ZIG-ZAGと…